大学1年生のときにあった新入生セミナーという科目の最初の授業は、10人程度のグループに分かれて1冊の本を学生が交代しながら説明していくというものでした。その最初の時間に、導入として教授からこんな質問をされました。「自分が一番尊敬する科学者をあげなさい。ただし、他の人と同じではだめです。」重複してはいけないのなら、必ずしも一番をあげることができないじゃないかという不満を抱きながらも、幸運なことに自分の順番が回ってくるまで、私の「一番」の名前がでてくることはありませんでした。
物理学生の最も尊敬する科学者
私は「マイケル・ファラデーです。」と迷うことなく答えました。自分でもよく覚えていませんが、小学生の時にマンガ伝記シリーズを読んでからの憧れのように思います。
「天才」と呼ばれる人間は意外に多いのかもしれませんが、ファラデーは紛うことなき物理の天才でした。鍛冶職人の3番目として生まれ、10人兄弟だったファラデーは小学校しか卒業できず、13歳のときには製本工場で働いていました。工場で様々な本に出会ったファラデーは、特に科学関連の本を夢中で読んだと言われています。また、絵が非常に上手く、本にある実験装置などを正確に書き写していたようです。そのノートを見たお客から、ある科学講演の入場チケットを譲り受けます。それが後にファラデーの師匠となるハンフリー・デービーとの出会いでした。助手としての採用を1度は断られるものの、実験助手として雇われた後の活躍は目覚ましいものでした。塩素の液化、ベンゼンの発見に続き、世の中を大きく変えた電気の普及につながる電磁誘導の法則を発見します。デービーとの関係が一時は悪くなったこともあるようですが、デービーが晩年「私の最大の発見はファラデーである」という言葉を残したように、多岐にわたる活躍で19世紀最大の科学者とまで言われるほどだったのです。高等教育を受けず、特に数学が全くわからない中でのそのような功績もさることながら、私が心惹かれたのはファラデーの人間性の部分にあるのだと思います。いくつかのエピソードを紹介しましょう。
ファラデーの人間性
電磁誘導発見初期、講演中に電池をいじっていたファラデーにある貴婦人が話しかけます。「そんなものが何の役に立つというの?」―「ですがマダム、この法則はまだ赤ん坊なのです。赤ん坊に何ができるというのでしょうか」。
また別の講演では、日本で言う財務省の役人にも尋ねられます。「そんな研究が何の役に立つのか?」―「ですが閣下、いまにこの研究の成果に税金を掛けるようになりますよ」。聞きようによっては皮肉ともとれますが、ファラデーの優れた先見性とユーモラスな面がわかります。
物事を良く知り遠くまで見通すことができる人は基礎研究の重要性を知っています。そうでない人は役に立つか分からないからいらないと言いますが、自分が今いる便利な世の中もそういう基礎研究があって初めて存在できるのです。
クリミア戦争 (1853–1856) の際に政府から化学兵器を作ってもらえないかという要望がきたとき、倫理的な理由からこれを断わりました。彼は机をたたいてこう言ったそうです。「作ることは容易だ。しかし絶対に手を貸さない!」ファラデーが強い平和主義者だったことがわかります。
ファラデーが残したとされる言葉で私が1番好きなのは、次の言葉です。「母親の涙も科学的に分析すればただ少量の水分と塩分だが、あの頬を流れる涙の中に、科学も分析し得ざる尊い深い愛情のこもっていることを知らなければならぬ」
科学的な合理性というのは、無駄を一切排除した唯一の答えを導きます。しかし、それだけで語れるほど人間というのは簡単にできてはいません。歴史に語り継がれる偉人たちも、一見無駄と思えるような長い年月をかけて、研究・思考を重ねていったのでしょう。正解に辿りつけるかもわからない問いに、勇気を持って挑み続けた人間が、偉大なことを成し遂げていくのだと思うのです。私たちがファラデーのようになるというのは到底無理な話かもしれません。しかし、自身の置かれた環境を跳ね返すほどの飽くなき探求心や、合理性を超えたところにある愛情を持つことはできるはずです。大いに悩み、考え抜くことで自分を大きく成長させていく。そのことを常に忘れず、未来に希望を持って生きたいものです。文系・理系に関わらず、その人物を取り巻く歴史的背景や家庭環境の中で、何を考え何をなしていったかを知ることで、自分の悩みや苦しみを解決する糸口になるかもしれません。ぜひ色々な方面への興味を持って、生活してみてください。
ロウソクの科学

ファラデーは一般向けの講演も多く行っています。中でも、『ろうそくの科学』は有名です。 1861年のクリスマス休暇に、ロンドンの王立研究所で催された連続6回の講演の記録です。私は翻訳したものも原著も読みましたが、これはいいものです。 1本のロウソクから、実に様々な要素を取りだして考察しています。 ファラデーは言っています。「この宇宙をまんべんなく支配するもともとの法則のうちで、ロウソクが見せてくれる減少にかかわりをもたないものは1つもないといってもよいくらいです」。記録者はウィリアム・クルックス。クルックス管の発明者といえば伝わるでしょうか?序文に書かれた文章から、その感動が伝わってきます。最後に序文を紹介します。
前略
先史時代に生きた火の崇拝者、火の使用者の幾百万の人のうちには、疑いもなく火の神秘について思いをめぐらしたいくたりかがいた。おそらくは、いくつかの迷いなき心が、いちはやく真理のそばに近づいたことであろう。
人類が救いのない無知の中に生きた時代を思ってみるがよい。一人の人間の生命がまたぐつかのまに、真理が暴かれることを思ってみるがよい。
中略
ロウソクはいまや、自然界の暗黒の場所を照らし出すためにつくられた。吹管とプリズムとは、地殻に関する知識を追加しつつある。しかし、たいまつの光、いや知性の光はまっ先にたたねばならぬ。
本書の読者のうちのいくたりかは、知識の蓄積を増すことに一生を捧げることであろう。科学のともし火は燃え上がらねばならぬ。
炎よ行け。( Alere flammam )
ウィリアム・クルックス
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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